こんにちは!星乃(@madoka_hosino)です。
これは過去の自分に向かって書いた記事です。
過去の自分の経歴を追って思い出しながら書きました。
引きこもりニート寸前、貯金1万円バイト時代から、どうやってわたしが人生を逆転していったかを時系列で追いました。長いので、興味のある方だけ読んでみてください。
星乃の現在と過去

現在わたしは、10年以上やっていた漫画家を辞めてセミリタイア生活をしています。
結婚して子供二人、都内4LDKマイホームに住み、住宅ローンなし(現金購入したから)、車のローンなし(同じく現金購入)、働かず、専業主婦で子供の世話をしながらFXの自動売買で約月20万円以上の不労所得を得ています。
旦那さん(塩パパ)は優しく、一生懸命仕事をしてくれますし、子供たちもとてもかわいいです。
こう書くと幸せ自慢なのか?と思われるかもしれません。
わたしは持っているもので、幸せが測れないこともよく知っていますし、表に出ている情報では本人が本当に幸せなわけじゃない現状もよく見ています。
なぜ、こう書いたかというと、20年前の人生諦めそうな自分に対し「今はこうなってるよ」と教えてあげたいからです。
今の現状だけを見ている人から見て、わたしが20年前の20歳前後だったころ、人生をドロップアウトしそうだったようにはきっと見えないと思います。
当時のわたしは、結構いい大学に受かったにもかかわらず、メンタル的に続けられなくて辞めてしまいました。
おそらく受験が終わり、自分のエネルギーをすべて使い切ってしまったんだと思います。
今思えば間違ったエネルギーの使い方をしていたわけですが、この時の話はまた別で記事を書こうと思います。
大学をやめてからはやることも、やりたいこともなく、実家の自分の部屋にひきこもり、ずっとゲームをするか、ビデオで映画を見ているような生活でした。(余談:その時に銀河英雄伝説を全巻視聴)
もちろん、将来の不安や現状の自分が孤独すぎて布団で涙を流したことは数知れず。
でも、行動できなかった。何をしていいかもわからないし、どうしていいかもわからない。
自分が何をしたいのかもわからない…。がんじがらめの状態です。
このまま親のすねをかじりながら、老人になっていくんだろうな、って本気で思っていました。当時、家も揉め事だらけで、居場所もありませんでした。
わたしが人生を諦めそうになったのは、上京もしていなかったし漫画家にもなる前なので、あまり表に出したことはありません。
なぜ今、こんなことを思い出したのか、それをまず書こうと思います。
これは自分の人生について過去の自分に対して書いているので、まとまりがないかもしれませんので、読みたい人だけ読み進めてくださいね。
バイトしていたマクドナルド時代を思い出した出来事
わたしは今、子育て主婦しながらブログ書いたり、資産運用してわりとのんびり暮らしています。
もちろん、投資の勉強はしたし、今でもしていますが、漫画家時代の睡眠時間3時間時代と比べたら、ものすごくのんびりと好きなことをして暮らせています。
私の今の生活は、午前中、弟のマリオくんを幼稚園に送った後、軽く家事をして、駅前のWi-Fiがある場所へいって記事を書いたり読書したりトレードしています。
幼稚園お迎え時間になるまでここで過ごして、幼稚園お迎えに行ったら、あとは習い事の送り迎えや夕食作りでバタバタと夜までやることがあります。なので、ゆっくり時間が取れるのは、この午前中(10時)~お昼すぎ(13時半)あたりまでなのです。
なぜ、家にもWi-Fiがあるのに、わざわざ駅前に出るかというと、やはり家ではダラダラしてしまうからですね。ノマドの人が、なぜわざわざカフェにいってパソコン作業をするのか、当時は疑問でしたが、今なら理由がわかります。
前置きが長くなりましたが、駅前でWi-Fiがつながる場所というと、スタバとマックとドトールくらいしかないんです。
Wi-Fiを使わない作業や読書したいときに星乃珈琲に行くときもありますが、だいたいは、スタバやマックで作業をしています。
その日も、PC作業をするために、駅前のマクドナルドに行ったんです。そこで注文をしたときに、ふと、気づいたことがありました。
バイト時代の同僚のフィリピン人女性に再会
私は、貯金残高1万円で上京してきて、1年間、マクドナルドのアルバイトをして生計をたてていました。当時は、朝7時半からバイトに入り、夕方17時までを週6日入って、バリバリ働いていました。
当時のクルーに、レナさん(仮名)という、フィリピン人の女性がいたんですね。レナさんも、パートなので、同じような時間帯で働いていたんです。
そのレナさんと20年ぶりにマクドナルドで再会したのです。
当時バイトしていたマクドナルドはつぶれてしまい、他の店だったのですが、特徴のある顔と名前だったので、よく覚えていたのです。
レナさんは当時は日本語は使えて、働くことには何の不都合もありませんでしたが、やはり難しい日本語となるとわからなかったんです。
タクシー運転手の旦那さんと二人暮らし。当時30代中盤~後半くらい。旦那さんの収入だけではやっていけないからバイトをしていました。
レナさんでわかることはこれくらいでしたし、同じシフトで働くことが多かったとはいえ、込み入った会話をすることもありませんでした。なので、きっとレナさんは私が誰だかわからなかったと思います。
私は人生においてバイトをしたのはそのマックで最後だったので、一緒に働いていたレナさんのことはよく覚えていました。
20年たった今もマクドナルドでクルーとして働いていたレナさんの姿を見て、同じくマクドナルドのクルーだった過去の自分を思い出したというわけです。
1日8時間労働週6日勤務。
当時を思い出し、時間をお金に変えて時給で働いていた時代から考えると、それなりに人生を変えてきたんだなとしみじみと思ったのです。
レナさんも、今でも働いているということは、ずっとマクドナルドのクルーとして入っているんだと思います。当時もそうでしたが、遅刻もせず、もくもくと真面目に働いていた印象は今も同じでした。
レナさんももう少し日本語が上手で、いろいろな知識があれば今頃はバイトしなくてもすんでいたかもしれません。おそらく、年齢的にも50代後半か、60代前半になっているはずなので、時給勤務は厳しいでしょう。
生活のために働いていると言っていたので、それが今も続いているのであろうことは推測できます。
コツコツと真面目にできる人なので、日本語が達者で知識があればもっとやりようがあったのに、と思うともったいないと思いつつも、現実の残酷さも感じました。
逆に言えば、わたしも 知識もなく、行動もしてなければ、いまだにパートをしていたのかもしれません。
そう思うと、お金の知識っていうのは本当に大事だし、人生を変えるんだなと改めて思います。
そんなわけで、過去を思い出したいきさつでした。
その日、心の中で、レナさんを応援しつつ、レナさんが準備してくれたエッグマフィンセットを食べながらPCを広げました。
人生ドロップアウト寸前!ひきこもりの20代前半
話を戻すと、わたしは上京してフリーターになる以前に、外に出ることすらも苦痛だった引きこもり時代があります。大学をやめてしまい、完全に人生の迷子になった時期です。
偏差値のいい高校に頑張って(無理してともいう)入り、それなりにいい大学に入った直後、急に人生に目的を見いだせなくなりました。
何のためにこの大学に通ってるんだろう…。私は、何のために今までいろいろなことに歯を食いしばって頑張ってきたんだろう…。
頑張るって何だろう…何のために?誰のために?
わたしは見た目のコンプレックスも強く、大学に通っている他の生徒がまぶしくて仕方ありませんでした。当時、女性性を完全に封印していた(されていた)ので、男みたいな(よく言えば宝塚みたいな)恰好でしたし。
授業そのものより、リア充全開の学校の雰囲気についていけなかったのも大きかったと思います。次第に学校に行かなくなりました。そしてそのまま退学。
ひきこもりでゲームしかしてない20代女子だったので彼氏なんてできるはずもなく。当時、結婚なんて当然あきらめていました。
このまま、ひきこもりニートのまま歳を取っていくんだろうな…って、本気で本気で思っていました。
本来なら女の子が一番輝いていて、人生楽しくてしょうがない時期が20歳なのに、わたしは人生ドロップアウト寸前だったのです。
※当時の状況が語られた記事
参考:成人式に行きたくない!半ひきこもり状態で20歳を迎え成人式に行かない選択をした話
もう家にはいたくない!実家を飛び出して人生が変わり始める
当時、家ももめ事だらけでした。毎日怒号が飛んでいた時もあるし、1階で騒いでるから部屋で大人しくやりすごそうと思っていた毎日でした。ニートひきこもり20代女子。もう救いようがない状態まで来ていました。
ですが、ある日、何か、ぶちっと切れたんですね。たぶんその日も1階では怒号が飛んでいたんじゃないかと思います。
その時、頭にふと浮かんだ言葉が
「もう、この家にいたくない」
です。
「この家を、出よう」
独り暮らしなんて当たり前に、気軽にできる人はたくさんいるとおもいます。金銭的に気軽にできなくても、「一人暮らししたいな~、お金どうしよう」くらいは思えるものです。
でも、家が牢獄のようで、メンタル的にもがんじがらめになっていると、家を出るという選択肢がそもそもうまれてこないんですね。そんな考えが浮かばないし、浮かんだとしても勇気も出ないんです。
何せ、行動するためのエネルギーが枯渇しているから。
でも、その時は、何か違ったんです。
家を出たい!出るんだ!というエネルギーがものすごく上がったんです。
おそらく、いろいろと我慢していたことが、コップの水があふれ出たように、その瞬間に決壊したんだと思います。とにかく、実家から出たかった。逃げ出したかったです。
「この家を出よう」はわたしにとって「自由になろう」と同意語だったんです。
その時の勇気を、わたしは20年たった今も褒めたいと思っています。
一人で引っ越し作業。ほぼすべてを捨てていった

そこからは、怒涛の勢いで引っ越し作業をすすめました。親にはもちろん猛反対されましたが、その時の私は絶対に引かなかった。ひきこもりで何も行動できなかったのに、どこにこんなエネルギーが残っていたんだという勢いでした。
当時、友人から住みやすいと聞いていた地域へ引っ越すことに。正直、家さえ離れられればどこでもよかったです。家を決め、引っ越し作業も全部自分でしました。
引っ越し費用もバイトしていた時に貯めた自分の貯金から出し、最低限の持ち物しか持っていきませんでした。時給も低いバイトでしたが、当時から、お金を貯めることは得意だった気がします。
あまりの荷物の少なさに、え?これだけですか?と引っ越し屋さんがびっくりしたくらいです。一人で引っ越しのトラックを待ち、一人でトラックに同乗し、引っ越し先へ行きました。
そして、貯金残高1万円になるわけです。
もちろん、すぐさまバイトを決めましたが、その当時は、残金1万円でどうしようという心配よりも、これで自由だ、何をしてもいいんだ、という解放感が勝っていました。
環境を変えると人生が変わるは本当
環境を変えると人生が変わるとよく言われますが、これはわたしの実感でもその通りだと言えます。わたしの今の人生の始まりは、実家を出たことがきっかけだったといっても過言ではありません。
あの時勇気を出せず、実家から出られなかったら、今や高齢ニートになっていたかもしれません。たとえバイト生活だったとしても、貯金がぜんぜんなくても、不安よりもこれからの人生、何をしてもいいんだ、という自由への幸福感が勝っていました。
引きこもりで動けなかったのに、何かしたい、何かしよう、というエネルギーがわいてきたんですね。
なので、今の状態が苦しいという人は、まず「環境を変えられないか」考えてみてほしいです。もちろん、仕事をやめたり、家に居ずらいけど、家を出るわけにはいかない人もいるでしょう。
そういう人は、「避難場所」をつくってみてください。家に居たくないなら、なるべく外にいるのです。
カフェでもファーストフード店でもいいし、お金ないなら図書館とか、無料で快適な空間があります。そういう、 「自分の安全地帯」を作ってエネルギーを貯めるのです。
そこから、どうすれば自分の人生が良くなるか、考えるのです。まずは安全地帯を作り、安全地帯にいる時間をなるべくとってみてください。
バイトしながら漫画を描き、漫画家になる
昔から絵が得意で大学もそういう大学に行っていたので、人より優れているスキルは絵でした。だからこそ、漫画を描くことを目指すことにしました。
当時はパソコンで絵を描くことも当たり前じゃなかったので、原稿用紙にインク、という完全アナログで描いていました。昼間バイト、夜と休日にコツコツ漫画を描く日々です。
当時、同人誌が盛り上がっていたので、バイトの給料を貯めて印刷費を捻出し、同人誌を書きました。イベントに参加し、同人誌を手売りしました。ブームに乗って、少しずつ同人誌が売れるようになり、少しずつバイトのシフトを減らし、1年後には完全にバイトをやめることができました。
同人誌が軌道に乗り、書けば書くほど売れる状態になりました。そうなればあとはひたすら描くだけです。
何にもなかった自分が、漫画を描くことで読んだ人に喜んでもらえる。それが本当にうれしかったし、それがダイレクトに結果につながってくるのが楽しかった。当時、一日中漫画を描いていても、全く飽きなかった。それくらいハマっていました。
さらに、商業誌デビューも果たし、商業と同人の2足のわらじでずっと漫画漬けの生活でした。漫画を描くことで、わたしの収入は上がり、経済状況は劇的に良くなりました。そして、年収1000万円を10年続けられるようになったのです。
絵がわたしの人生を変え、絵のおかげでマイホームを現金購入できるようになり、今、資産運用しているお金も与えてくれました。
今の旦那さん(塩パパ)は元はわたしの漫画のファンだった人です。今でこそ、締め切りの辛さゆえに引退してしまいましたが、絵はわたしにいろいろなものを与えてくれました。今は感謝しかありません。
余談ですが、わたしがどうやって年収1000万円を達成したのか、絵をお金に変えるスキルはnoteで公開しています。
参考:大好きな絵で食べていきたい!それなら同人誌を描いてみよう。同人誌だけで年収1千万を目指す方法
絵がうまくなるテクニックは本やYOUTUBEにもあふれていますが、「絵をお金に変えるテクニック」は情報を伝えている人がほとんどいないんです。
わたしの10年以上にわたるお絵かきの歴史、学んだお金に変えるスキルを詰め込んであります。絵が好きだ、イラストが描ける、という人は、ぜひとも同人誌に挑戦してほしいと思いますね。
子供が生まれてから人生観が変わる
子供が生まれるまでは本当にワーカホリックと言えるレベルで仕事をしていました。なんでそんなに集中力があったのか、当時の仕事量を思うと驚くばかりです。
月2本の月間連載(28~32ページ程度×2)をこなし、合間にアンソロジーやイラストの仕事もこなし、同人誌も普通に描いていました。
月間の生産量は100ページとかにもなっていた時期もあったかと思います。そんな仕事漬けの人生からの転機は子供が生まれたことです。
結婚はいつでもできるけど子供はリミットがあると思っていたので、子供が欲しいと強く思うようになりました。とにかく自分の子供が見たかった。
当時お付き合いしていた今の塩パパとの間に女の子が生まれました(ラブちゃん)赤ちゃんは本当に本当にかわいかったです。天使とはまさにこのこと。
人生の価値観を大きく揺さぶられるほどに、ラブちゃんがかわいかったのです。そこからでしょうか、少しずつ、締め切りがキツイ、と思うようになりました。
締め切りは破ったことがないのが誇りだったのに、締め切りを延長してもらうことが増えるようになりました。それまではどんなに締め切りが厳しくても楽しかったはずの漫画が「描くことが辛い」と思うようになりました。
今思えば、子供と接する時間が欲しかったのだと思います。いつのまにか、自分の中に母性が目覚めていたんですね。
ですが、当時、漫画の仕事しかしたことがない私。塩パパはわたしのアシさんだったので、わたしが仕事をやめたら、必然的に塩パパの収入も絶たれます。
漫画は描きたくないけど、描くのをやめたら収入が止まる…。
漫画家を本当に辞めるまで、このジレンマで数年は悩みました。
幸い、ある程度の貯金はあったので、贅沢しなければ数年は暮らせそうだったのですが、とにかく無収入が怖かった。貯金一万円でも平気でいた20代の頃とは、まったく違っていました。
子供を持って守るものができてしまったんです。
投資を学ぶも途中であきらめる
わたしは、なんとか漫画以外の収入源を探していました。その時に目に入ったのが、「投資」です。
そうだ、投資を勉強しよう!資金はある程度ある!
そう思って株の勉強をしました。当時、教材を買い、セミナーにも積極的に出ました。しかし、投資は途中で断念することになったのです。
漫画の締め切り、赤ちゃんの子育て(授乳中)それにさらに、投資のタスクが加わることは不可能でした。
乳飲み子を抱えたまま、仕事は子供を産む前と同じ量をこなしていましたし、ミルクに頼らず、自分で授乳していました。投資の勉強をしても、肝心のチャートを監視する時間がまるで取れないのです。
今は、無理だ
そう判断し、いったん投資は封印しました。
仕事を大幅に減らし生活費を塩パパに頼る

そこから、ますます仕事は精神的にきつくなり、締め切りを守ることができなくなりました。今思えば、けっこう限界だったんだと思います。こなせる仕事量は減り、さらにクオリティもどんどん下がっていました。
「もう、限界なんだな」
そう思い、塩パパにもう仕事をやめたいと打ち明けました。幸い、塩パパは代わりに生活費を稼ぐと言ってくれました。
もちろん、わたしもすぐには仕事をやめませんでしたが、連載をやめ、少しずつ仕事を減らしていきました。今現在は家族の生活費は塩パパが稼いできてくれています。本当に感謝です。
無職無収入時代突入、焦りと不安の日々

漫画の仕事をすっぱりやめて、精神的には本当に楽になりました。
けれど、子供二人抱えた4人家族。平成も終わるこの時代、給料だけで家族4人暮らし、教育費や老後の資金を賄うのは至難の業です。
わたしは仕事をやめ、しばらくは燃え尽き症候群になっていました。
漫画家を10年以上やってきて、ほぼアトリエで過ごしていましたし、旅行もしたことがありませんでした。海外はおろか、国内旅行すら行ってません。
仕事で飛行機や新幹線に乗って遠征することがあっても、ほぼ日帰りでどこにもよらずに直帰する日々です。当時、どれくらい締め切りに追われていたか、想像つくでしょうか。
その反動が辞めた後にモロに出て、何もやらなくてよくなった瞬間、何もしたくない日々が続きました。
今思えば、「休息のタイミング」だったのだと思いますが、何かやらなけば…と焦りばかりが募っていました。
何もやりたくないのに、何かやらなけば…と焦るあまり、コミュニティに入ったり、自己啓発の本を読んだり、セミナーに出たりしました。
けれど、「本当は何もしたくない」「休みたい」が本音だったので身につくはずがありません。
自分と向き合う。1年間の休息
無職無収入な上に、何をやっても続かない…。
かつては年収1000万円を稼ぎ、マイホームも現金一括で買ったのに、いまや何も収入がないただの主婦。ただの主婦をけっしてバカにしてたわけではないですが、かつてバリバリ仕事をして稼いでいた自分と比べていたのです。
「稼いでない自分は何の価値もない」
そんな風に思っていた時期もあります。焦りや不安の日々が続き、ようやく自分と向き合うことになりました。
本やセミナーなどの外に答えを求めるのではなく自分自身に答えを求めました。
※いろいろ迷いの小道に入り込んでいるときの記事はコチラ
参考:お金がない→そうだ引き寄せの法則だ!は不幸になる危険。本当に人生を変える方法は?
そこでようやく、「しばらく休みたい」「ゆっくりしたい」という自分の本音にきづくことができました。
そこで、徹底的に休もうと覚悟を決めました。ある程度貯金もありましたし、塩パパも働いてくれてるから何とかなると。
今は、休息するタイミングなんだ、とようやく気づいたのです。
それからは子供たちを連れて、今まで行けなかった旅行に行きまくりました。毎日、やりたかった家の片付け、整理整頓、断捨離。
子育てしながら仕事できるようにリビングにパソコンが並んでいましたし、荷物部屋になっていた部屋もありました。その状態がずっと気になっていたので、これらのことををすべてやろうと。
徹底的に部屋の片づけや断捨離。
要らないモノで溢れていた部屋を片付け、かたっぱしからヤフオクで売りまくりました。その時の記事はたくさん書いています。わたしのミニマリストの原点はここにあるんですね。
参考:ミニマリストとは何か?我が家の定義を書いてみる
疲れたら寝てましたし、ダラダラ日を過ごしたり、観たかった番組をずっと見ていたり、とにかく「自分を満たす」ことを最優先しました。
そんな日々を過ごしていた時、
そろそろ何かやろうかな
そんな気持ちになってきたのです。
今までできなかった、「全力で休む」ということをしてきて、ようやく、エネルギーが溜まってきたのです。
その時間、約1年間。 10年以上全く休まず全力で仕事をしてきたので、それだけエネルギーが枯渇していたのでしょう。
再び行動したいと思えるまで、1年間もかかってしまっていたのです。
投資を学び自動で月20万円以上の不労所得
そこからは投資家である友人に教わり、投資に没頭しました。子供たちは一人は小学生で手がかからなくなっていましたし、日中は幼稚園で時間がとれました。
漫画という大きなものを手放したおかげで、本格的に投資の勉強をする時間をとることができたのです。
投資を学んで実践して1年。
今は投資の自動売買だけで月20万以上の不労所得を得れるようになっています。
参考:【資産運用】2018年11月の結果 不労所得+232788万円【投資】
(裁量トレードも合わせたら、30万以上になっています)
やりたかった子育てを十分しながら、ゆっくりと自分の時間を取りながら、誰にも束縛されることなく、収入を得ることができている。
漫画家をやめたいと思った時、実現したかった生活がようやくかなったのです。
不労所得を得て生活の質は格段に良くなった
年収1000万円の漫画家時代と比べたら、月30万の収入は低いかもしれません。
ですが、締め切りに追われ、子供と遊ぶ時間も取れず、私の人生はこのままパソコンの前で終わるのか…と悩んでいながらも仕事をやめられなかった時代から比べれば、生活の質や満足度は格段に上がっています。
そう思えば、わたしに投資を教えてくれた友人にも感謝でいっぱいです。
今は、自分の生活に満足しています。子供たちの世話を十分できますし、投資で利益を得ているので、無収入でもありません。投資は、奥が深いのでこれからも勉強し、資産を増やしていくつもりです。
自分の幸せをじっくり向き合って考えた時、
●家族と一緒にたくさんのことを経験する
●家族が心地よく感じる快適な家にする
●そのために十分に必要なお金
それだけでよかったんですね。本当は、漫画家としての成功なんて、わたしは望んでなかったのかもしれません。
以前のように、必死に仕事をしてお金を得ているのではなく、今は楽しんで収入を得れるようになりました。
その時精いっぱいやれることをやってきた
引きこもりニートを経て、バイト生活から20年。
1万円の貯金から労働収入を経て月20万円の不労所得へ。
それなりに頑張って人生を変えることができたなと思っています。当時思えば、コツコツとその時やれることをしてきました。
今の状態を変えるために、その時々で必死でやってきた。それが今の状態につながっています。
●全力で漫画を描いてきたからこそ、辛くても続けてきたからこそ、投資の資金もあった。
●一時はあきらめたけど、当時の投資の知識があったからこそ、勉強を再開した時にすんなり入ることができた。
●収入的にも極限の状態だった経験が節約に生きている。
●実家が揉めていたからこそ、今の幸せな家庭に感謝できる。
●自分が引きこもりの経験があるからこそ、自分の子供は過分なプレッシャーを与えず、「生きていればオッケー」と言える。
●自分が悩んでいたからこそ、抜け出る方法がわかる。
何も無駄なものがなかったと思っています。当時はつらかったですけど。だからこそ、今の状態が辛く苦しい状態だったとしても、
最善だと思えることをコツコツやっていく。
それが大事だと思っています。
人生は一気に逆転することは難しいけど時間をかけて変わることは可能
一気に人生を逆転することは至難の業です。けれど、ある程度の時間をかけて、コツコツ積み上げて、いつのまにか理想の人生になっていることは可能です。
あきらめず(たくさん諦めそうになったけど)あがきながら、時に休みながらもゆっくりと変化していきました。
悩みがあるあなたも、人生を変えたいと思っているあなたも、焦らず、時には休んでもいい、その時にできることをコツコツやる、そして、昨日と比べて1ミリでもいい方向に進む。そうやっていってください。
何年か後に自分の人生を振り返った時、いつのまにか驚くほど先に進んできたんだなと気づく時がくるでしょう。
そうなることを祈っています。